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大阪高等裁判所 昭和25年(う)1397号 判決 1950年12月23日

被告人

桜井直勝

主文

本件控訴は之を棄却する。

当審の訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

弁護人の控訴趣意第一点について。

弁護人は原判決は三木治信の販売始末書を証拠として掲げたが右は証拠物であるから刑事訴訟法第三百七条に従い朗読と展示がなければ適法な証拠として採用できないのに、原審は単に朗読したのみで之を証拠として採用しているから原審の採証は違法であると主張するけれども、刑事訴訟法第三百五条にいう証拠書類と同法第三百七条にいう証拠物中書面の意義が証拠となるものとの区別については同法中にこれを明示した規定が存しないのであるが、前者は書面の意義そのものがそれに表示されている事実の証拠となるものを指し、後者は書面の意義が証拠となると同時にその存在又は状態も証拠となるものを指すものと解するを相当とする。例へば被害者の盗難始末書を以て窃盗の被害の事実を認定する場合は書面に表示せられている被害者の認識そのものが証拠に供せられているわけであつて、此の場合においも文書である以上その客観的存在はあるのであるが、そのことは証拠になつていない。しかし誣告の告訴状を以て誣告の事実を認定する場合はその書面の内容が証拠となると同時に左樣な書面が存在していること自体も亦証拠に供せられているのである。更にその区別の表現を以てすると前者における文書そのものは窃盗の事実と無関係な後日に作成されたものであつてその文書の存在自体は窃盗の事実を証明する価値なく、文書に表示されている被害者の認識そのものは窃盗の被害を受けた当時のものであるから窃盗の事実を直接に証明し得る価値を有するのである。之に反し後者における告訴状は誣告の当時作成されたものであつてその文書の存在そのものが誣告の事実を直接証明できるのである。所論販売始末書は本件につき被告人以外の者が作成した供述書であつて単に書面の意義が証拠となるだけのものであるから証拠書類であつて証拠物ではない。ゆえに本件販売始末書については証拠書類としての取調をするをもつて足りる。従つて右始末書を朗読することによつて証拠調をした原審の措置は正当であるから原審の採証に違法はない。所論は反対の見解にすぎない。論旨は採用できない。

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